「地獄と旅僧(一遍上人)」
安部 作男

 夕映えの豊後路を、一人の旅僧が衣の裾を風になびかせて、地獄村へと急いでいた。地獄村(鉄輪村)は天領であり、神社領との境を示す八川の北側高台にあって、天然の温泉が湧く所である。
 時は、戦国乱世であり、合戦で傷を負った武者達が谷間の温泉に浴し、傷の治療をして帰る事が幾度となく続き、諸国にその名を知られていた。
 地獄村の上部山際に、周囲半里はあろうか、深く青々とした地獄の海が静かに眠っていた。その地獄の海が、近年、急に荒れ始めて、そこに住む人々は、地獄のために発生する大音響で一睡も許されず、そのたびに昼夜の別なく、地獄の海の熱湯が田畑に流入して、農作物の被害は全滅に近かった。頼みとして残った最後の稲田も、日毎に侵食されて、稲の取り入れが間近に迫った村人達は地獄図のような現況に、唯、呆然とするのみであった。
 この悲惨な被害状況を伝え聞いた僧は、何とかして苦難にあえぐ村人達を助けようと、地獄村を訪れたのであった。
 八川の辺り、湯川原に着いた旅僧は、一軒の小さなあばら家を見つけ、被害の状況を聞こうとした。だが戸外にいた家の主は、僧の姿を見るなり急に隠れてしまった。その後は二度と顔をみせようともせず、暗い屋内から目だけを光らせて、まるで動物のように、外に立っている僧の姿を注視していた。
 理由ははからないが、よそ者の来訪を極端に恐れているようにように見えた、僧は幾度も声をかけたが、何の返答もない。仕方なく僧は、その家を後にして上の方に人家を求めて歩く事にした。熱湯と泥湯のために荒廃した農地の跡が続き、わずかに残された稲田で何人かの百姓が気忙しく働いていた。近寄って声をかけると、百姓達は僧の姿を見るなり、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったのである。
 畦道を更に登り続けた。あたり一面は、悪魔が通った跡のように赤色、白色の地獄土が幾筋も残り、田畑をなめていた。それは仏法の世界の地獄絵図を見ているようであった。
 太陽が西に傾き日も暮れ始めていた一夜の宿を取るのにも、村人は僧に敵対するように白い目でみるので、仕方くむらの中央部高台に建っている小さなお宮を見つけて泊る事にした。建坪が二坪くらいのお堂で、周囲に松の木が生い茂っていた。薄暗いその中には誰が忘れて行ったのか、一枚のムシロが敷れていた。長旅の疲れが出ていた僧は体を横たえる事にした。夜の闇の中から時折、遠く山上よりまた地の底からも、悪鬼の怒りのような大音響が「ドーン、ドシン」と鳴ると同時に、狭い堂内をゆり動かして来る。そのたびに真白な湯炎を吹き上げながら、赤色をした地獄湯が音をたてて流れてゆくのが見えた。地震はかぎりなく続いていた。そのうちに村の家も樹木も地獄の泥に埋まってしまう事になるだろう、僧の胸は痛んだ。
 地獄湯の流音と地震が少し静まると、遠くから、夜の闇を通して、誰が唱えているのか「南無阿弥陀仏」と念仏の声が流れてきた。体を起こして堂外に出ると、暗闇の村を念仏の聞こえる方角へと歩いて行った。どれほど歩いたであろうか、地獄村を見下ろす高い台地に着いていた。僧は空を見上げると月が輝いているのにびっくりしたのである。
 地獄村が暗闇である原因は、地獄の海から流れ出す湯炎が霧状となって、村中を覆い包んでいたのであった。
 椎の巨木が生い茂って、防風林の役割を果たしいる森の中ほどに、昼間、湯川原で見たと同じような一軒のあばら家が、月明かりに照らし出されていた。その小屋の前に一人の老人が立っていた。両手を合せ、一心に西方の地獄谷に向かって念仏を唱えていた。老人は僧の姿を見ても、他の村人とは異なり、逃げようとはしなかった。近寄って良く見ると、老人は盲人であった。僧は老人の前に立つと静かな口調で語りかけた。「天上界は、月、星が輝いて極楽界となり、地上界にあっては山河怒りて地獄界なり。老人よ、拙僧は、地獄村の人々の苦しみをわが苦しみに思う、悪鬼を転じ善神に変へる法力を持つ者だ。この世は因果応報の原理なり、何か原因があるはずだ。拙僧に隠し事なく話してくれまいか。」 老人は僧の話を聞き終えると、見えぬ目を透かして・・・信用したのであろう、ぽつりぽつりと話し始めたのである
「旅の上人様、地獄の海だけが悪いのではないのです。村人も悪いのだから仕方がねえです。因果な事じゃ。」といって話を続けた。
「地獄村は、たび重なる天災により何年も不作が続き、村人は大変に苦しんでいた。そんな時期に上方から来た役人様が、一段の年貢の取立てを始めたのです。村の者は、食べる物も底をつき、木の実や草の根を食べて命をつないでいたのだが、悪い事は重なるたとえ通り、村に悪病が流行して、体の弱い老人や子供の半数は死んでしもうたのです。村中が全滅になる前に、鶴見岳の地獄谷に自生している山人参が、悪病によく効く最高の薬草だと言う。他国の医者様の言葉を思い出した庄屋さんが、村の若者二人にその薬草を取りに行かせたのです。ところが、他国に逃亡すると思った役人がその二人を殺してしまったのです、何と情けない事か、村人に取っては最後の望みを断れて、泣くにも泣けぬ有様だった。ついに血の気の多い若者は村人の命を守る為だと言って、役人を殺して地獄の海に死体を投げ込んでしまったのです。その夜から急に地獄の海は怒り始めたのです。今まで神聖な地獄の海を死体でけがした罰に依り、田畑を洗い流して荒れ狂い、清水の八川までも火の川と化してしまったのです。庄屋様は、役人の怨みが癒えるならばと、一人娘の小夜さんを人柱として、地獄の海に捧げたのですが、静まるどころか、増々激しく荒れ狂うばかりであったのです。役人様の奥方も、主人の死を聞くと自刃されて、遺書には地獄村の人々を終生のろうと記しあったそうです。」
 老人の長い話は終った。東の空が白み初めていた。僧は老人に礼を言い、地獄谷の海に通じる道をたずね。深い森を抜けて湯煙が立ち昇る悪道をそこに向かて急いだのであった。
 相も変わらず地鳴りが続いている。半刻は歩いたであろうか、山影から地獄の海が一望に出来る所にたどり着いた。広い地獄の海の中心に三ヶ所壁形の高い山が囲み、その連山を白煙が取り巻いて、まるで龍が天に向かって昇つているように見えた。周囲半里の海地獄の中央部に赤い炎が柱のようになって吹きあげていた。大音響を発するたびに一段と炎の柱が高く吹き上げ、現世の出来事とは恩われないほどの凄ましい光景であった。
 僧は激しく立昇る湯煙の向う遠くに、一つの光の玉を見つけた。不思議に思い、その正体を見届けるために、湯煙の山際を通り抜けて光の方角へと歩いて行った。神社領境の八川を渡ると、山奥には全く不似合な立派なお宮に出たのである。光の主は鶴見権現の御身体であった。
 火男、火女の二神を祭る鶴見権現は、火の山鶴見岳を御神体として祭るお宮でもある。
 鶴見権現は、村人救済しようとしている旅僧をまねいたのであった。
 僧は、一心に鶴見権現に祈った。そしてその境内にある大きな楠木に爪彫で、
「南無阿弥陀仏」の六字を奉納して、村人達が災い無きよう護念の祈願をしたのである。
 鶴見権現の加護を受けて勇気百倍に成った旅僧は、再び海地獄にむかった。
 相変わらず地獄村では地鳴りが続いていた。僧は池の近くまで進み、自ら護念の為の「くぢ」を切って、一番荒れ狂っている炎柱に向い、大声で「修羅界に迷える邪仏よ、われ如来の使いとして、汝を西方浄土に送らんとする。成仏あれ、拙僧、今よりのち、七日間、法華経一字一石を持って供養とし、一万遍の念仏を唱える。即身成仏あれ!」僧は地が割れんばかりに叫んだ。
 その日から僧の荒行が始まった。八川に下り小石を拾い、一字一石に法華経の経文を書き込み、荒れる地獄に向て念仏を高々と唱えながら投げ入れたのである。勤行の途中、何度となく風、雨、熱湯に邪魔されながら“行_を続けた。そのたびに鶴見権 現や、諸天善神の加護を受けたのは言うまでもない。
 満願待望の七日目の朝を迎えた。何ヶ月もの間、激しく荒れ続けていた炎柱も、地鳴りの大音響も、全く嘘のように消えていった。あの鬼神が叫んでいたような海地獄は、青々として静かに山影を水面に写し出していた。海地獄を取りまいている連山に暗雲は消えて、小鳥の鳴く声が聞こえて来た。明るい朝の光が木の間からさし込み、平和な村が甦がえったのである、僧は鶴見岳に向って深く合掌し感謝の祈りを捧げた。いつの間に集まって来たのか、村人達十七、八人が僧の周囲にいた。地獄村に来た時とは打って変り、感謝の目で僧を迎えてくれた。僧は村人達を見回して語りかけたのである。
 「地獄村に住む人々よ、今から先も苦しい事が数多く起きるかも知れぬ。だが世の中で一番悪い事は、人を殺すと言う罪じゃ。苦しい生活が続けば続くほど、幸福な生活を作る源じゃと思い、互に助け合い、身を持って毒為薬して、安寧を祈るのでです。」村人の中に、道を教えてくれた盲目の老人を僧はみつけた。その老人の顔に涙が流れていた。村人達は、地獄村の救世主に対して両手を合わせ、口々に「南無阿弥陀仏」と唱えた。
 鶴見連山からの風は暖かく、豊後路の春ももうそこまできている
 のちに旅僧の名を、誰が言うともなく、時宗の開祖、僧一遍上人と・・
 鉄輪温泉、育ての親とも人は語り伝う。
     (「鶴見村の民話と伝説」より)
〈著者紹介〉
 この文章は昭和四十三年三月に大分合同新聞に掲載され、昭和五十四年に「鶴見村の民話と伝説」として十三の話を収めて刊行されました。
 安部作男さんは昭和十一年の生れで、醤油販売を行いながら、コピー機が無い当時、旧家を訪ねては文献を見せてもらい、それを筆写したり古老の話を聞きながら書きとめていたと当時を知る人から教えられました。
 旧朝日村の先輩の功績に敬意を表します。
 なお安部さんは平成十二年に六十四歳で、逝去されました。