「鉄輪温泉賛歌」:生成りの魅力
加藤 忠彦

 私が鉄輪温泉に初めて逗留したのは、小学校二年の秋のことである。一九四六年十一月、満州から引き揚げてきて、静養のため父の郷里である鉄輪に二ヶ月ほど滞在した。
 温泉は満州でも行ったことはあったが、あたり一面と思うほどに湯煙が立ち上り、道の傍らには蒸気の吹き出る竈があるのに驚いた記憶がある。またあちこちに誰もが入れる風呂があるのにも驚いた。つまりはこれが私にとっての「温泉地の原体験」のようなものであった。
 その後は神戸のほうに住むことになり、大学を、卒業するまでは兵庫県で過ごした。卒業後は四十数年を茨城県で過ごしたが、鉄輪の魅力が忘れられずリタイア後は大分に住むことにした。
 兵庫に落ち着いてからも幾度か鉄輪を訪れた。神戸から関西汽船でほぼ十二時間、明け方には別府観光港に着いて、バスかタクシーで鉄輪に直行したものである。当時は観光客も湯治客も多く、宿の浴衣と下駄履きの人たちがいつも「いでゆ坂」や「みゆき坂」さらには横道の路地にも楽しげにそぞろ歩きをしている姿があった。
 鉄輪の魅力は飾らない暖かな雰囲気とやさしい地元の人情、加えて実においしい地元で取れた新鮮な山海の珍味である。魚屋さんも八百屋さんも本当にやさしい人たちで、親近感が持てたのが嬉しいことである。
 茨城に住んでからも、仕事の関係でたびたび九州を訪れる機会があったが、時間が許せば必ずと言ってよいほど鉄輪に立ち寄った。雑念から開放された暫しの時に癒された。
 九州横断道路が開通したころから、関西方面からの観光客が別府に泊まらず、高崎山と地獄をめぐって由布院や熊本方面に向かうひとが増えたようで、鉄輪温泉も少しずつ逗留客が減っていくのを寂しく思ったものである。
 茨城県に長く住んでいたこともあり、茨城県内はもとより北海道から東北六県、関東から信州など多くの温泉地を訪れる機会があった。有名な温泉地はたくさんあるが、鉄輪ほどの湯量と多様な泉質、また周りの環境にめぐまれたところは少ないと思う。
 鉄輪のセキショウを敷き詰めた蒸し湯や足蒸し湯は、天下一と言えるだろう。抗がん剤の副作用で手足の痺れがひどい家内は、この足蒸し湯に入ると足の感覚がきわめてよくなると喜び、東京でコンピュター関係の仕事をしている娘は、セキショウの蒸し湯に入ると生き返るほど気分が爽快になり、緊張や疲れがとれるという。また足に激痛が走る難病の患者は、この足湯が最高に気持ちがよく暫くは痛みが遠のき、気分も良くなるという。これほどの湯の恵みはなかなかあるものではないだろう。
 入浴のみならず、景色にしてもこれだけの温泉地はまず思いつかない。つまり美しい山並と湯煙の情景、鏡のような海の情景、さらには海に面した別府市内の町並み、特に鉄輪の高台から観る夕景と夜景の美しさ、このように同じところで山と海と町並みが楽しめる温泉地が他にあるだろうか。
 景色だけではない。それは地熱で蒸した新鮮な山海の珍味である。地熱に含まれるミネラル分の働きで、どんな調味料を持ってしても適わない味がつき、それぞれの素材の持つ本来のうまさに生成りの味がたまらなく美味である。
 いささか「鉄輪」をひいきしすぎたかもしれないが、偽らざる思いである。
 近年、みゆき坂、いでゆ坂さらには横道も綺麗な石畳になり、地獄蒸し工房や立派な蒸し湯、足湯や公園、駐車場やトイレなどが整備された。昔の湯治場の風情がなくなったのはちょっと残念な思いが無いわけではないが、しかし旧き良きものを残しつつ近代的な姿への変貌も必要だろう。車社会は否定できない現実で、締め出すよりも如何にうまく受け入れてゆくかを考えねば取り残されるだろう。かつてはお年寄りの湯治客が多かったが、昨今は近くのデイサービスセンターを利用することが一般的になったとすれば、より若い人たちを如何に惹きつけるかを考えなければならないだろう。そう考えると車が通ることが出来る道や、駐車場も必要になる。公園や公衆トイレをはじめ人々が立ち寄る施設の清潔感が求められる。また時代が変わり個人の生活様式が変わってきている中では、洋式トイレやベッドのある湯治宿、貸間があってもいいのではないか。以前私が乗馬中の事故で脊椎を痛めたときに、鉄輪で暫く湯治をしたいと思いベッドのある貸間を探してもらったが残念ながら見つからず、断念したことがある。たとえばパリの町並みのごとく、外観や建物の大きさは百年前のものでも中は近代化されているものがある。このように、鉄輪の伝統的な旧さと新しいものの良き組み合わせは何かを、考えることが必要だろう。
 その点で、冨士屋さんの変身はすばらしい事例と思う。
 JR別府駅に降り立っても、なかなかそこでは鉄輪のイメージは沸かないだろう。たとえば大分空港から一日何便かでも、鉄輪直行バスがあったらどうだろうか。鉄輪には立派なバスセンターがあるのだから。
 いろいろ勝手な思いを述べたが、折角恵まれた自然条件を宝の持ち腐れにしないように、官民老若が力を合わせて知恵を出し合い、新しい鉄輪の魅力を創造してほしいと願っている。
 世界一と言っても過言ではない鉄輪の湯煙は、人をやさしく包み込み心身を暖かく癒してくれる神の力があるように思う。
     (元地方電鉄社長 杵築市在住)