「湯けむり幻想」作家 中山士朗


 年に何回か私の家を訪れ、3・4日滞在して行く鹿児島の友人がいる。
 私の家は、別府市野田と言うところにあるが、人々に説明する際には、羽室台と言った方が、はるかに通りがいい。その友人は、ことのほか別府が好きな人間で、仕事でひどく疲れた時などは、ことさらに別府に行きたいと思うらしい。
 今年の元旦も、早朝に鹿児島を車で発ち、6時間かけて別府の私の家にやって来た。
 翌日、湯布院に向かう途中、大観山の坂の上に車がさしかかった時、
「この湯けむりを見た時、別府に来たことを実感する」
と述懐した。そして、
「鹿児島も温泉が多い所だけれど、このように湯けむりが上がっている所はない」
といたく感じいったような言い方をした。
 その日は、やや曇り空で、扇状に広がった鉄輪の温泉地帯からは、鶴見岳、大平山を背景に、無数の湯けむりが太く、ほとんど垂直ぎみに勢いよく立ち昇っていて、圧倒されるような光景であった。
 古の人が「此里には、地獄と称する沸熱の泉甚だ多く、或は、人家の壁、柱の根などにも煙を出す所あり」と文章に記していることを何かの本で読んだことがあるが、遠い昔から湯けむりは立ち登りつづけ、そして現在もその湯けむりに包まれ、人間の心は癒されているのである。
 別府に住むある知人は、ほとんど日課のようにして、「鬱蒸の気を蔵め包み、材を構へ草土を覆ひて窟の如くし、藁を布き石を枕」とする蒸湯に行き、帰途に気がむいた時なぞは、ちょっとした手土産を持って私の家に立ち寄り、とりとめのない話をして帰ることがある。車の中に、洗面道具を積んでいるのを見かけたことがあるが、このような生活ぶりに接すると、こちらまで、あくせくとした世間を忘れ、幸せになったような気分になる。
 この湯けむりには、私たちの魂を吸い寄せる何かがある。現在の私たちが見失ってしまった遠い故郷の風景と時間が、人々の記憶を蘇らせながら漂っているからであろう。
 羽室の山里を下って行く時、必ず俯瞰するこの光景は、四季それぞれに美しい。東京から移住して来て6年になるが、私はまだ一度も、湯けむりに包まれた、坂の町の中を散策したことがない。けれども、一度訪れたならば、きっと病みつきになってしまうような予感がしてならない。