鉄輪の湯 〜愛すべき極上の温泉群〜
斉藤 雅樹


 別府八湯と言われ、別府には「温泉地」が八つもある。温泉の井戸は何と二千八百もある。疑いなく世界一の温泉郷である。中でも泉源が密集し、最も大地のパワーを見せつけられるのが鉄輪温泉だ。「地熱にフタをして旅館が建っている」と言った人がいる。立ち昇る湯煙は数百あり、天下の奇観を呈す。
 前回W杯で、次期開催地の日本の十都市はフランスで観光宣伝を行った。大分の「湯煙ポスター」は静岡の富士山と人気を二分したらしい。外国人たちは鉄輪のモクモク蒸気を指して「これは何だ?」「スチームだ」「そんな危ない所に人が住んでいるのか!?」と仰天したそうである。鉄輪は世界でも希少な「地熱と人が近い」街である。
 かように力強い鉄輪温泉だが、湯はやさしく軟らかい。鉄輪の湯は「メタ珪酸」含有量が他の温泉地の数倍〜十倍程度と日本一クラスだ。メタ珪酸には保湿効果があり、カネボウの入浴剤にも使われている。人肌と同じ弱酸性であることも手伝い、入浴中はまろやかで、入浴後はスベスベになる。
 鉄輪から山手側に立地する明礬温泉は強酸性の硫黄系温泉である。ここで一皮向いた後、鉄輪のやさしい湯で仕上げる、という二湯めぐりコースが気に入っている。言わば、お肌のシャンプーとリンスである。この順に入ると、肌は目に見えて調子が良くなる。逆も試したが、やはり明礬、鉄輪の順が良い。温泉は泉質により機能も様々なので、上手に活かせば思わぬ大効果が得られるはずである。近距離に異質の湯が湧く別府ならではの贅沢な楽しみ方を、もっと開発したいものである。
 鉄輪の湯は、浴室に掲示されている温泉分析表では「食塩泉」となっていることが多い。食塩泉は保温効果が高く、事実、鉄輪には「熱の湯」という共同浴場がある。コップで湯口の湯を飲むと明確な塩味とわずかな苦味を感じることが多い。ただし、100℃近い源泉ではやけどに注意したい。飲泉はヨーロッパでは「野菜を食べるのと同じ」とされ、全身浴よりも人気がある。効能もさることながら、舌で味わうことで湯の個性を手っ取り早く理解できる。浴感はもとより、味、香り、色などを五感総動員で楽しむ、とは温泉の達人が異口同音に薦める「入湯のコツ」である。
 鉄輪温泉独特の個性として、薬のような石鹸のような不思議な芳香を持つことがあげられる。「渋の湯」では特に強く感じられ、初めて訪れたとき私は隣の人の使うシャンプーと勘違いした程である。湯上り数時間後に自分の肌から漂う芳香に、初めてそれが湯自体の発するものであると気づいた。マニアが「鉄輪臭」と呼ぶこの香りは、温泉街を歩くとふんわりと身体を包み込み、「鉄輪だなぁ」と思わせてくれる。芳香の原因は硫化水素、珪酸成分など諸説あって結論が出ていない。
 さて、先述の「メタ珪酸」はもう一つ面白い現象を引き起こす。結晶の粒径が徐々に大きくなり光を反射し、湯が青くなるのである。全国でも別府の他には二、三箇所しかない超珍湯である。神和苑やカマド地獄などで見られ、「透明」「青」「青白」と日を追って変化する。特に、透明から青に変わった直後の湯は絶品で、淡い青紫色である。温泉チャンピオンの郡司勇氏とラジオ出演した際の神和苑の露天風呂がこの状態で、二人して湯の美しさに息を飲んだものである。この透明な青紫色の湯は一日ほどしか見られず翌日からは白濁が混じる。真に美しいものは蜻蛉のように命短くはかない。もちろん青白濁の湯も十分素晴らしいが、やはり青紫の湯を一度ご覧になることをお奨めしたい。
 以上、鉄輪の湯の一般的な特徴を紹介してきたが、あくまで鉄輪の多数派の特徴であって、実はひとくくりに出来ぬほど様々な湯がある。例えば、地獄めぐりエリアには青、赤、緑、白と多種多様な湯が湧くし、先日訪れた某ホテルは本格的な硫酸鉄系の温泉で、鉄輪にこんな湯があるのかと改めて驚いた。一体、地下構造はどうなっているのかと思う程、底知れぬ多様性と魅力を持つ温泉地である。
 別府八湯の二千八百源泉のうち、一般人が入湯可能なのは四百ほど。つまり二千余りは非公開すなわち地元専用や個人宅の湯であり、まだまだ未報告の極上湯が潜んでいてもおかしくない。鉄輪探訪の楽しみは、日々深くなっていく。