地獄という名の極楽
斉藤 雅樹


 別府には「地獄」という「熱い池」がある。地獄とは、もとはナラカという昔のインドの言葉で「苦しい世界」という意味らしい。奈落の底、というアレである。仏教では○○地獄というのが色々あり、釜ユデなど熱い目に遭うものが幾つかある。「往生要集」にはそれらの様子が実にリアルに描かれているが、恐らくこの辺から連想して、巨大な熱い池や源泉のことを「地獄」と呼ぶようになったのだろう。
 別府には地獄はいくつもあってご存じ「地獄めぐり」ができるようになっている。そのほとんどは鉄輪にあって、ほかに間欠泉の竜巻地獄と「豊後国風土記」に登場する血の池地獄が柴石温泉付近にある。知られていないが、地獄は例えば観海寺温泉にもあって、鶴見地獄は冷泉寺の本堂裏にある。立派なものでヨソにあれば名所に違いないが、ここでは看板こそあれひっそりした風情だ。地獄のメッカである鉄輪ともなればそこここに地獄があり、海地獄にはメインの他に小さな赤い地獄があるし、神和苑の庭にもカワイイ地獄がある。我々が気付かぬだけで、山中で人知れず沸騰する秘湯ならぬ秘地獄もきっとあるに違いない。
 さて別府観光の定番、地獄めぐりの地獄はどこも見事である。地球の豪快な息吹を、目と耳はもちろん、足の裏に伝わる地響きで感じ取ることが出来て感動する。中には順路や建物が少々豪快さに欠けて何だかナアという所もあるが、そこはご愛嬌。些細な点に気を取られて地獄本来の魅力を見過ごしては本末転倒である。地元に住んでいると案外行かないもので、子供の頃に行ったきりという方も多いと思う。ここで今一度、足を運んでじっくりと観察することをお奨めしたい。以前、「鉄輪は地熱と人が近い街」と書いたが、地獄ほどそれが感じられるところはない。
 地獄に行ったら順路の地面にあちこち手を触れてみて欲しい。部分的にコンクリートが熱を持っていて驚くはずである。地獄を見世物にするために沸騰する池の縁まで歩道を造るのはさぞ大変だったに違いない。竜巻地獄は噴出口の上に覆いがあるが、あれも設置は大変だったはずである。何しろ25分に一度は大量の熱湯が噴き出てくるのだから。海地獄は歴史が案外新しく、数百年前の鶴見岳噴火の際に出来たという。日常に埋没しがちだが、別府は「火山」であることを改めて思い知らされる。坊主地獄はさらに活動的で、最新の泥地獄は平成に出来たというから凄い。順路を歩くのもスリルに満ちている。
 かように見ながら歩きながら思いは尽きない地獄であるが、これが温泉の泉源であることも忘れてはならない。地獄という名の極楽なのだ。別府で最も湯量がある泉源は、金龍地獄である。ここの湧出量は一日900キロリットルと凄まじく、近所の上人湯や地獄原温泉をはじめ、別府大学下の前田温泉に至るまで数多くの共同温泉に湯を満たしている。鬼山地獄はワニに気を取られがちだが、入口すぐの大池はボコンボコンと湧いていて迫力満点である。緑色に妖しく光る湯は温泉好きの心をかき立てるが、道向かいの鬼山ホテルに引かれており、「食塩と重曹分のバランスが絶品」とマニアがたたえる名湯だ。熱帯の動物に寒い思いをさせない山地獄の湯は、文楽という民宿に引かれていてここは眺望めでたき穴場の宿でもある。
 鉄輪で地獄の名湯に入りたいという向きには、かまど地獄をお奨めしたい。かまど地獄は面白い地獄で、一丁目から六丁目まで小さな地獄が実にバリエーション豊富だ。一丁目はピンク、六丁目はアイボリー、四丁目はその中間色の泥地獄。二丁目は噴気で、三丁目は青、五丁目は緑の温泉である。で、三丁目の青い湯は経営者のお宅の浴室に引かれており、売店で頼めば快く案内してくれる。地獄の湯、と書かれた扉の奥に素朴な浴室があり、地獄と同じ青白い湯がたゆたう。鉄輪独特の芳香が強く、苦味と塩味も適度で、なめらかさ柔らかさは鉄輪トップクラスの名湯と言ってよい。旅の思い出には最高のはずで、脱衣所のノートには感激のコメントがビッシリと書かれてある。
 地獄の湯に共通するのは、そのパワーである。湯に力がある。分析表の数値には現れないが、何とも強い湯なのである。地獄の湯はどこかしら引き湯しているので、以前、それらを特別の許可を頂いて巡る「地獄入湯ツアー」を企画し、全国の温泉マニアと楽しんだことがあった。一日に二十湯でも大丈夫、という猛者ばかりであったが、地獄の湯には「わずか」九つで湯あたりしたとのこと。もっとも、その湯あたりを治すのに「湯治」したそうで、温泉好きには際限がないのである。