巷でウワサの温泉問題
斉藤 雅樹


 このところ温泉問題がやかましい。やれ井戸水を温泉と偽っていただの、入浴剤で着色していただの不祥事の連続である。一つ二つの温泉地だけではない。全国至るところの「名湯」でユーザーをあざむく不正表示が行われていたことが明るみに出て、新聞やテレビで毎日のように責めたてられている。「ニセ温泉」は今年の流行語として記録されることだろう。
 振り返って鉄輪はどうであろう。
 そもそも別府八湯の温泉湧出量は日本一である。別府以上に温泉が湧くところは日本で他にない。中でも鉄輪は湯量豊富である。余って余って捨てるしかないほど豊富である。毎日毎日あふれ出る温泉と蒸気を前にして、多くの鉄輪の温泉経営者は、巷の温泉不祥事の問題などどこ吹く風の他人事としか思えないのではないか。
 温泉ではない井戸水や水道水を「温泉」と偽っているのは論外として、世の中で問題となっているのは、温泉を「加工」している事実を公開せずに隠している点である。温泉の「加工」とは、循環再利用、加熱、加水、投薬などである。そして、これらの加工が必要になる原因は、主に温泉の湯量不足である。従って、湯量豊富な温泉地ではこうした加工は施されないことが多く、源泉かけ流し、すなわちホンモノの温泉を贅沢に使えることが多い。
 ちなみに別府市における温泉湧出量は一日およそ十三万トン。人口は十二万人。観光客は一日平均一万人が宿泊するとして、毎日十三万人が湯を使う。とすると、一人あたり一トンの温泉が毎日使えることになる。家庭用の浴槽はおよそ二百リットルなのでちょうど五杯分である。一人一日五杯のお湯のおかわりが出来る。まったく贅沢な話で、この贅沢さを別府はもう少し上手に宣伝するべきである。
 さて、社会の関心は温泉の純正さ、公正さに向いており、それはそれで結構な話である。利用客にすればウソをつかれているのは本当に腹が立つし、温泉うんぬん以前の問題である。正当な表示に改めるべきことは言うまでもない。
 しかし、温泉百%であればよいか、ホンモノであればさえよいか、というとまた別の話である。というのは、都会で最近はやっている深く掘削する温泉には、ほとんど成分を含まない、温かい地下水とでも言うべき「天然温泉」も中にはあるからである。地下水の温度は一般に百メートル深くなるごとに二〜三℃ほど温度が上がるという。となると、千メートルや二千メートルも掘れば、地下水は基準の二十五℃を超えて法律上は「温泉」と呼べるまでになる。成分がほとんどなく、泉質は「アルカリ単純泉」となる。このような「天然温泉百%」であるなら、私は例えば水で五倍に薄めた本格的温泉の方がずっと良いと思う。
 本格的な温泉、例えば鉄輪温泉のことを考えてみよう。
 鉄輪の湯の特徴は、食塩泉である、不思議な芳香がある、弱酸性、メタ珪酸を多量に含むという四点であろう。
 食塩泉とは湯の中に食塩分を含んでいるということで、鉄輪の湯の場合、一リットルに四グラム程度の食塩が含まれる。大きなペットボトルの水に小サジ半分の塩、と考えると分かりやすい。なんだその程度かと思われるかもしれないが、家庭用浴槽を二百リットルとすると、鉄輪の湯を再現するには塩がなんと八百グラムも必要となる。「○○の湯」なる入浴剤は一回分がせいぜい二十グラムだから、同じ量にしようとすると四十袋も入れるハメになる。裏を返せば、鉄輪の湯は四十倍に薄めるてはじめて、家庭用入浴剤の湯と同レベルの成分濃度になるのだ。本格的な温泉とはかくも偉大なものである。この鉄輪の湯の基幹を成す食塩分には保温効果があり、よく温もる湯である。
 鉄輪の湯は独特の芳しい香りがする。石鹸のような良いにおいである。また、ダシのような味を感じる湯もある。原因は良くわからないが湯に硫酸イオンや金属イオンなどを複雑に含んでおり、その絶妙のバランスがそう感じさせるのだろう。
 人肌と同じ弱酸性をうたう洗顔料があるが、鉄輪の湯もおおむね弱酸性だ。かつ、やはり肌と同じ弱食塩であるため、ひときわ「やさしい湯」である。そして、日本有数の含有量を誇るメタ珪酸の成分は鉄輪をもっとも特徴付けていて、これは保湿成分と言われる。こうしてみると、保温であり保湿であり、肌に極めてやさしいリンス系、仕上げ系の湯であると言える。温泉めぐりで複数の温泉に入るならば、最後は鉄輪で締めるのが正解であろう。
 かように素晴らしい鉄輪温泉であるが、唯一の弱点は、温度が高すぎることにある。これも本来は弱点でもないのだが、何せ百℃近い湯が湧くものだから、入浴適温まで冷やすのに時間が掛かる。せっかちな現代人は待てないのでお手軽に水を入れたがる。そうすると源泉は当然薄くなり、百%とは呼ばれなくなる。温泉評価を施設内に掲示しようとする動きがあるが、水で冷却している一部の鉄輪の施設は不利になる。先述のように水を多少加えたところで薄い天然温泉よりはずっと濃い湯であったとしても、表示上は「源泉50%」などになってしまう。
 もちろん、鉄輪の施設には源泉にこだわり、営業時間を短縮してまで湯を冷ましたり、熱交換器を入れたりと良心的施設も多い。しかし、鉄輪の湯は人肌にはやさしくても機械には容赦がないため、熱交換器やラジエーターなどはメンテナンスが大変らしい。草津温泉には「湯畑」なる大きな樋に湯を迂回させて空気で冷やす、見た目にも面白い仕掛けがあって温泉のシンボルとなっている。ここは一つ、別府らしくてシンプルな、温泉を冷やすアイデアが待たれる。温泉問題が取り沙汰される今こそ、湯にこだわる姿勢を温泉地としてぜひアピールしたいものである。