鉄輪おちこち(その9)
中山 士朗(日本文芸家協会々員・日本エッセイスト・クラブ会員)
- 八月十八日、鉄輪の温泉山・永福寺の本堂で開かれていた写真展を見て来た。
- これは、別府市羽室台高校の河野浩之(普通科一年)さんの個展であった。そこには、鉄輪で暮らす人々のさりげない表情や生活ぶり、往来の風景、湯けむり、そしてそれらを静かに眺め、しなやかに歩む猫の姿などを撮った十八枚の写真が展示されていた。
- 「写真それぞれに、題はないのですか」
- 私が愚かにもそのように質問すると、河野さんは、
- 「すべてをひっくるめて、『二十世紀から二十一世紀を駈け抜ける十五歳の記録と記憶』としています」
- と、爽やかな答が返って来た。
- 「猫がよく登場していますが、お好きなんですか」
- と、ふたたび愚にもつかない質問をした。
- 「鉄輪では、猫は人間の生活に密着して暮らしています」
- と、河野さんは明快に答えた後で、
- 「もっとも、猫は好きですが」
- と言い添えた。
- いずれにしても、鉄輪の風情というか、温もりのようなものが、そこで遊び、育った十五歳の青年の目でしっかりと捉えられ、写し出されていた。この後も、河野さんはプロのカメラマンを目指しながら、鉄輪を撮りつづけてゆくのであろう。
- 見終えての帰る道すがら、私は昨年の四月に新潮社から刊行された、藤原新也氏の「鉄輪」という本を思い出していた。
- これは、「手にする列車の切符の行き先に、知らない町の名前が書いてある」という書き出しで始まる自伝小説と写真が一体となった内容の書物であった。
- 門司で旅館業を営んでいた父親の事業の失敗が原因で、一家は別府の鉄輪に移り住むようになったために、そこでの高校生活を余儀なくされた青年の遠い記憶が、現在、写真家となった筆者によってみごとに文章と融合した写真集ともなっているのである。
- 藤原氏にとっての鉄輪は、「別府駅に着くと『鉄輪』行きというバスに乗った。私はそれを"てつわ"と読んだ。これがかんなわ、ちゅうんよ、と母は言った。郷里で聞いていた"カンナワ"という発音がその漢字と結びつかない」町であった。また「バスから見下ろす町並み。歩いている人々。バスに乗り合わせた人々の会話。どこかの外国よりずっと遠いところにある、すぐには馴染むことのできない場所のように思えた」という。
- 河野さんと藤原氏はほぼ同じ年頃を鉄輪で過ごしながら、置かれた環境によって認識の仕方に差異がある。
- 気のせいか、藤原氏のすべての写真には、当時の鬱屈した心象が、レンズに覆いかぶさるフィルタ?の作用をなしているような印象を抱いたのは、ひとり私だけなのだろうか。
- 二人の写真を頭の中で整理しながら、二人それぞれの鉄輪がある、と私は思った。
- 同様に、立ちのぼる湯けむりがそれぞれの趣を醸し出しているように、人にもそれぞれの鉄輪があることに気づかされたのである。