「英国人写真家ポンティングが訪れた明治末の別府と鉄輪」由佐 悠紀


 ポンティングとは、19世紀末から20世紀初め頃に活躍した英国出身の写真家で、英国のスコット大佐の二回目の南極探検(1910-12)に写真掛として同行したことで知られている。ただし、彼自身は一年だけで帰国したので、スコットを始めとする5名の極点到達員が、その帰路、全員遭難死したという悲劇を知ったのは、後になってからである。この悲劇については、科学隊員チェリー=ガラードが著した「世界最悪の旅」に詳しく記されているが、その中にポンティングは、夕食後のレクチャーで、彼自身が世界各地で撮影したスライドをしばしば隊員達に見せ、大変好評だったと書いてある。
 彼が訪ねた国の一つが日本で、1901年頃から1906年までの間に数回にわたって来日し、その紀行文「悦楽郷日本にて」(直訳)を1910年にロンドンで出版した。この著作のまとまった邦訳は「英国人写真家の見た明治日本」という題で、2005年5月に講談社学術文庫の一冊として刊行された。およそ百年前の日本各地の様子が生き生きと描写されているのに加え、写真も添えられていて、面白くかつ貴重な記録であると思う。
 日付は書いてないのだが、彼は九州にも来て(少なくとも二回は来たようである)、熊本の水前寺公園を見物し、阿蘇山にも登り、中岳の火口をのぞき込む人びとの写真を撮った。そのほかに、十人ほどの男たちが入浴している温泉の写真があり、驚いたことに、その説明文は「鉄輪温泉」としてある。というのは、これまで私は、明治時代に外国人が鉄輪や別府に来たという記録を読んだことがないので、およそ百年前(明治末)にポンティングが来たのなら、別府温泉郷の観光史に関する新知見かもしれないからである。
 ところが、文庫本には鉄輪の記載が見あたらない。写真には、浴槽の中に胡座をかいている老人が写っているのだが、臍ぐらいまでの深さしかないようである。また、入浴の男たちは、細長い浅い浴槽に仰向けになって横に並び、一方の縁を枕にし、他方の縁に脚をのせていて、特徴的な入浴法に見える。現在の鉄輪で、そんな浴槽や入浴法を私は見たことがない。それやこれで、ポンティングが鉄輪に来たことに確信がもてなくなった。
 ただし、訳者あとがきには、「原文はかなりの分量があるので、訳出にあたり残念ながらその約半分を割愛せざるを得なかった。」とある。その割愛された部分に、鉄輪や別府の記述があるかもしれない。
 幸いなことに、原本が神奈川大学図書館の横浜書庫に貴重書として所蔵されていることが分かり、上京の機会に同図書館をお訪ねし、格別の便宜で閲覧させていただいた。前記文庫本の訳者が記しておられるように、四百ページにも達しようという大部である。ともかく阿蘇山の章を見ようと頁を繰ったら、一分もしない内に、いきなり別府と鉄輪を書いた頁に出くわした。ポンティングは、九州の旅の終わりに、確かに別府と鉄輪に来た。
 私個人としては、三十五年も昔(1971年1月)、あのスコット達が南極点を目指して出発した基地の寒そうな小屋を、ヘリコプターから遠望したことがあるので、彼らも別府や鉄輪のスライドを見たに違いないと思って、感慨を覚えるのである。
 以下は、別府と鉄輪に関する部分の翻訳である。
「九州を横断した旅は、初めから終わりまで、大変興味深いものであった。竹田の町は高い山々に囲まれた谷あいにあり、まるで絵のようである。山々には四十を超えるトンネルが穿ってあり、そのいくつかを通らないと、町に入ることができない。近くには、堅くしまった玄武岩(訳注、溶結凝灰岩)の崖の上から落ちてくるきれいな滝がいくつもあり、この小さな町を取り巻く景観はことのほか美しい。
 しかし、旅の終わりに訪ねた別府と鉄輪は、どこよりも最も興味深いところであった。この二つの集落は、瀬戸内海の南西の入口に当たる豊後水道の沿岸に位置している。
 近隣はすべて火山地域なので、いたるところに温泉がある。別府の町には公衆の温泉場がたくさんあり、各家庭にも温泉がある。また、海岸はほとんど沸騰状態の湯で泡だっている。何百人もの住民が、男も女も子供たちも、海岸に集まり、砂に穴を掘ってその中に横たわり、頭だけをだして砂をかける。こうして人々は何時間も体を蒸し、眠りさえする。私も試してみたが、私が掘った穴に滲みだしてくる湯は大変熱くて、その中に立つことは、ましてや横たわるなんて、とても出来やしなかった。
 別府から数マイル離れた鉄輪の村では、土地が火山の熱であふれているため、鉄棒で地面に孔を開けると、どこでも蒸気が噴き出すのである。ほとんどの家の戸外には、そんな蒸気孔があって、料理に使われている。使用しないときは、硫気が家の中に入って来ないように、栓をしなければならない。
 日本でも最も特異な湯治場を、ここで見ることができる。人々は、公衆の温泉に入った後、一度に十人余りが恐ろしく熱気のこもった岩室にもぐり込む。半時間以内に這い出してきて、屋根から落ちてきた泥を体に塗り、別の所で地下から汲み上げて引いて来た冷水の滝に打たれる。このトルコ風の風呂は、リウマチの治療にたいへん良く効くと言われている。
 鉄輪には他にも沢山の温泉があり、そのいくつかは深さ約15インチ(訳注、約40センチ)、幅は人が寝そべることができるほどの、細長い浴槽になっている。入浴する者は、この中に並んで横たわる。男子用と女子用があるが、老若男女が一緒に入り、世間話をするのはごく普通のことだ。
 鉄輪には、快いものばかりがあるのではない。そのひとつは深緑色で硫黄気の泥が煮え立つ沼であり、もうひとつは鮮やかな緑色の沸騰する硫黄の湯である。自殺志願者のお気に入りの場所だと聞いた。私は、これらの恐ろしい沼をのぞき込んだとき、そこに飛び込むには、超人的な勇気あるいは狂気が必要だろうと確信した。」
【稿を終えるにあたり、原本を閲覧させていただいた神奈川大学図書館に深謝申し上げる。】