湯けむりあれこれ
斉藤 雅樹


 鉄輪のシンボルと言えば「湯けむり」である。NHKが視聴者から募集した「21世紀に残したい日本の風景」で、富士山に次ぎ第二位に別府の湯けむりが選ばれている。鉄輪でなければならぬ、という訳ではないが湯けむりで鉄輪にかなうところはない。日本中でも間違いなくトップクラスだ。
 ちなみに別府八湯のすべてで立派な湯けむりがみられるのではない。鉄輪のほかには堀田、観海寺、明礬、柴石といった山側の温泉地が該当する。別府では海に近づくと温泉の温度も下がるため、湯けむりにめったに出会えない。が、変わり種もあって、市役所よりも少々海よりの住宅地にある天満温泉という共同湯では、源泉からモウモウと噴気を昇らせており別府の懐の深さを感じさせる。
 別府は世界一の規模を誇る温泉都市でありながら、案外と温泉シンボルが少ないため、到着して駅や港の段階で感動する人はあまりいない。玄関をくぐった瞬間にはまだ湯の街を訪れた実感が湧かないのだ。駅前高等温泉や竹瓦温泉は素晴らしいシンボルだが、駅から少々距離があるので目指して行かぬと遭遇しにくい。ところが、一旦バスや車で鉄輪に近づき、あちこちで立ち昇る湯けむりが目に入ると思わず「おお!」とか「ああ!」と声をあげ、一大温泉郷に我が身を置く事実を否応なしに知らされる。千両役者、真打ち登場である。
 官庁のお偉いサンを案内したときに、曰く「別府はここを駅にすべきでしたね」。確かに鉄輪に鉄輪駅があると演出効果は絶大であろ。いかにも温泉都市の玄関に湯けむりはふさわしい。機関車のレプリカでも置いて、煙突から日夜蒸気を噴出させれば愉快である。
 駅は無理でも、鉄輪に大駐車場を作って中心地までの両脇にズラリと「地獄蒸し屋台」を並べても面白かろう、と思う。鉄輪の湯けむりを見て一番喜ぶのは中国の方ではないか、などと勝手に考える。なにせ飲茶の国である。蒸気モウモウのせいろを見るだけで私などヨダレが出る。この勢い満点、地球の息吹である温泉蒸気で、別府湾の海の幸をふんだんに使った海老餃子、チマキ、小龍包などを蒸せばさぞ美味しいはずである。以前一ヶ月ほど鉄輪の貸間旅館に滞在した際、すっかり地獄釜なる調理マシンが気に入った。米、芋、玉子どれでも美味だが、一番は海老カニの類である。何せ蒸気の勢いが凄いので、アッという間にウマ味ごと蒸しあがる。コンロの蒸し器と比較にならない。最近、有志が地獄蒸し豚饅を開発しており、「鉄輪名物、地獄蒸し飲茶」に発展するまで成功を祈りたい。
 さて、脱線ついでにもう一つ。鉄輪名物の、焼肉屋ならぬ「蒸し肉屋」があると素晴らしい。大分は美味しい牛肉の産地で「豊後牛」ブランドである。焼いても当然結構なのだが、せっかく別府に来て同じ調理法というのもナンである。無煙ロースならぬ「湯けむりロースター」を各テーブルに備えた店にする。網にカルビやらロースやらを乗せ、バルブをひねる。すると轟音とともに温泉蒸気が噴出し、みるみる色が変わっていく。温泉しゃぶしゃぶを出す地方があるそうだが、蒸した方が旨みを逃がさず良さそうに思う。
 湯けむりの立つ温泉は、湯として良いことが多い。石の焼けたような独特の湯の香と、メタ珪酸のやわらかな肌触りになりやすい。また、火山性温泉には食塩泉が多く、鉄輪も食塩系のよく温まる湯である。これに重曹分や芒硝分が混じり、飲んでもなかなか「美味しい湯」になっている場合がある。経営者のご厚意で、試しに某温泉の湯でうどんを食したことがある。醤油も何も足さず温泉に茹でた麺を泳がせただけであったが、蛤のお吸物のような旨みと香りが良く、塩味も適当で「温泉うどん」も鉄輪名物でイケるな、と思った次第である。
 中には、湯けむりは良いものではなく「カラ蒸気」で湯が出ぬ証拠、との批判を聞くことがある。現に、別府では温泉蒸気を川水に吹き込んで湯を造成しているところもあるではないか、と。しかし、考えてみてほしい。別府は一日13万トン湯が湧く土地である。そのうち、利用しているのはわずか数分の一であとは「捨てている」そうである。冬ともなると捨て湯のせいでそこここの側溝から湯気が上がる。別府で湯の造成が行われているのは、むしろ源泉からの配管融通や権利関係、あとは設備保全の都合上「薄い湯」が求められる事情からであろう。いずれにせよ、全体として湯が足りないわけでは決してない。
 まあ、私が力説しなくとも、鉄輪に来て圧倒的な量の、湯と湯けむりが同時にゴウゴウ噴き出している様を目の当たりにすれば、先の憂いはかすんで見えるのであるが。