「巨星墜つ」
楢崎 好江

 優れた俳人が、鉄輪に俳句という文化の種を蒔き、多くの俳句愛好者を育て、文化の灯をともしました。
 街を一望する見晴し台はじめ、街のあちこちに句碑を遺しつつある今、志半ばにこの世を旅立たれました。その人は倉田紘文氏。
 鉄輪をこよなく愛し、人をわけへだてなくご指導くださったやさしいお人であり、すばらしい先生とご尊敬申しあげておりました。
 方々に投句筒を設置、入湯客にも投句を促し、肩肘張らない句会の選者を続けられました。
 私も鉄輪に居を定め、終の住処とした縁で、ド素人ながら厚かましく、時折投句させていただいていました。そのような投句にも、きちんとお目通しいただき、時にはそれなりの評価をいただいておりました。
 鉄輪は単なる温泉街でなく、文化溢れる湯の街だと誇りに思い暮らしていました。
 その文化の中心である「鉄輪俳句」をこの度すべて終了すると河野氏からお電話をいただき、正に青天の霹靂でございます。先に「蕗」も、先生がかねがね「一代限り」とおっしゃておられましたご意向のままに「蕗」も終わりますとお聞きしていましたので、あるいはと危惧を抱いてはいましたが、河野氏に何度も聞き直して「やめる」ことに間違いないと判断し、落胆と失望でいっぱいでございます。
 確かに「一代限り」をうたうのは「いさぎよい」「男の美学」かも知れません。が、単なる名残だけでなく脈々と受け継がれて発展してゆく文化があってこそ、地域に遺す偉人(倉田紘文)の足跡より確実にするものではないでしょうか。
 ここに種を蒔いた「一粒万倍」の言葉のように、播種された種が大地に芽生え、地域にしっかり根を下ろし花咲かせ稔り、次へとつなぐ。バトンタッチされた人は、謙虚に先人の足跡を辿り学びつつ、更に高め開花させていくことが、鉄輪を単なる湯の街とするだけでなく。「ゆけむり・温泉」を楽しむ旅人と共に、俳句という文化の香り高い湯の街を謳歌する洒落た湯の街にすることになるのではないでしょうか。
 これこそ逝かれた先生へのご供養になると思うのですが・・・・。