「倉田紘文先生との出会い」
田頭 淑江
- 私が別府という街を初めて訪れたのは平成十九年の初夏であった。秋には、温泉で癒され、優しい人たちとの出会いがあり、時がゆったりと流れる居心地の良い、日本古来からの湯治文化が大切に受け継がれている鉄輪の湯治宿と出会うこととなり、すっかり魅せられてしまったのである。おかげで休みさえあれば、まるで実家にでも帰るような気分で湯治宿を訪れるようになった。
- 宿の女将さんが「鉄輪俳句筒・湯けむり散歩」という句集や「鉄輪ごよみ」を見せてくださった。「あなたも俳句を出してみたら」と勧めてくださったのであるが、そんなことはとてもできなかった。私はそれまで俳句とのご縁が全く無かったのである。それでも何回か投句を勧められていたが、同じ宿のお客さんが投句された作品が「鉄輪俳句筒・湯けむり散歩」に掲載されているのを宿のみんなで一緒に見ては楽しんで、私は見る側にいた。
- ところが、湯治宿で何泊も過ごしていると温泉で身も心も癒されてなごみ、ちょっとレトロな風景にも、木々や美しい花が多い豊かな自然にも、人々との優しいふれあいにも、些細なことにも普段と違った感動を覚えるようになったのである。不思議な感覚である。それから季語がよくわからない私は歳時記を購入し、五七五と指を折りながら鉄輪で散歩をしたのである。
- それから「鉄輪俳句筒・湯けむり散歩」に私の俳句を特選1回、佳作12回掲載していただいた。掲載されるとやはり嬉しかった。選者倉田紘文先生の《四季のことば》を毎回楽しみにしていた。季語の解説や俳句の楽しみ方が平易にやさしく書かれていた。それと、こどもの句には励ましの句評が添えられていたと思う。
- 昨年の七月七日に両親と三人で湯治宿に泊まっていた時に、「第二十回句碑除幕式」が鉄輪上町の湯けむり広場であるから行ってみたらと女将さんに声をかけられ三人で出かけた。静岡県掛川市の鈴木啓之さんの句碑の除幕式であった。
- 炎天下での除幕式で私はTシャツの型がくっきり日焼けして赤くなるほど日焼けしてしまった。そこで倉田紘文先生と初めてお目にかかることができた。その時倉田紘文先生は病後で痩せておられたが、冗談ばかり言われ愉快なお人柄でとてもお元気そうに見えた。先生とご一緒に写真も撮らせていただき、「私の誕生日に素敵なプレゼントをありがとうございます。」とお礼を申し上げた。その日七月七日は私の誕生日であり、とても幸運な日であった。この写真は私にとって記念の大切な写真である。今はただ、倉田紘文先生のご冥福を心からお祈りするばかりである。
- ここまで書いていたら,母も同じように倉田紘文先生への思いを綴っていた。
- 先生と初めてお会いして一年もしないうちに訃報に接することになり悲しみと淋しさにくれています。先生とのご縁はおよそ七年前になります。家族で鉄輪に参りました時,娘に勧められて俳句というものを詠み投句して帰りましたところ,たまたま特選に選んでいただき,これもたまたま母娘で平成二十三年のカレンダーに載せていただきました。人間いくつになっても褒められるとその気になるもの。あれ以来俳句に興味を持つようになり,季節感,表現の省略ということを頭に置くようになりました。この年(七十九才)になりまして,お人そして趣味に新しい出会いを得ましたことはとてもありがたいことです。先生のおやさしい笑顔を思い浮かべながら大きな感謝とともに心からご冥福をお祈りいたします。
- 一月 初笑い 夢連れ登る 湯のけむり(娘)
- 九月 秋日和 一遍さんの お計らい(母)
- 感謝