別府での出会い(その1)
「湯あみ祭り」
石 菖 女

 別府鉄輪〈湯あみ祭り〉とは、鎌倉時代に九州行脚の際に別府鉄輪を訪れ、当時大地獄地帯であったこの地を鎮め、病気に苦しむ人々を救う湯治場として開かれたという、時宗宗祖一遍上人様と温泉に感謝をするお祭りであるとうかがった。
 私が「湯あみ祭り」と初めて出会ったのは平成十九年九月のことである。この頃私は病気療養のため鉄輪の貸間宿を訪れ、入湯したり、近所を散歩して過ごした。すぐそばに永福寺というお寺があり、時にはご住職のお母様の河野恒子さんのむずかしい宗教のお話ではなく、平易で歯切れのよいお話を聞いていた。
 ある日「これから湯あみ祭りがあるからお寺に行ってみたら」と貸間宿の女将さんに言われ、湯上りのままとりあえず行ってみた。稚児行列に参加する和装で飾りを付けたかわいいこどもたちが大勢いた。見物客や主催者の人たちで境内は大賑わいであった。そこに浜田博別府市長さんがお見えになり、皆が一緒に写真撮影をお願いしていた。私は様子がわからないままぼんやりしていると、「一緒に写真を撮ってあげましょう」と祭りのハッピ姿の人に声をかけられた。素っぴん、下駄履きでひどい格好をしていたが、私は市長さんと二人の写真を撮ってもらったのである。その後私は何と申し上げてよいかわからず、「ありがとうございます。私は別府市民ではありませんが、別府で大変お世話になっている者でございます」と申し上げた。その時市長さんは一言「別府をよろしくお願いしますね」とおっしゃり、にこっと笑ってくださった。私はその時とても嬉しかった。別府市に住民票は無いけれど、それでも別府という街で自由に楽しんでいいと、そんなお墨付きをもらったような気分になった。それも住民票とは異なる、市民権のようなものを市長さん自らが私に下さったんだと勝手に妄想し、想像力を膨らませたのである。しかし、そのお蔭で私はその後六年間に何回別府に行ったことか。何日を過ごしたことか。その時々を、気分良く存分に楽しんで過ごせるようになったのである。私にとってはありがたい好機であった。
 お寺への奉納の竹筒に付ける短冊には「元気になれますように」と書いた。私の湯治の目的はそれであるから。別府の中でも鉄輪での湯治は入湯に加え、何でもおいしく食べられる加熱調理器である地獄釜が魅力である。ご飯、肉、魚、野菜等いろいろな食材をおいしくしてくれる。私はさつま芋が好きなので鉄輪での自炊には欠かせない。自宅で蒸すのとは違った微妙なおいしさや甘さがありおいしい。日に何度も入湯し、おいしい物を食べ、ゆったりとした時間を過ごすことが私の元気につながっている。
 そして一遍上人様と別府鉄輪の自然の恵みと人々の温かい人々に感謝しながら暮らしていると、またぞろお湯が恋しくなり、次なる鉄輪行に思いをめぐらせる日々となるのである。